アジアの大国 インド を旅した6日間(1/12~1/17)の備忘録である。
今や “IT” 王国として驚異的な発展を続けるインドであるが !!!
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1月12日(1日目)
広島 ⇒ 韓国ソウル(乗り継ぎ) ⇒ インド(デリー国際空港)
早朝、車で自宅を出発。積雪や凍結の心配もなし。
広島空港からわずか1時間40分で乗り継ぎ地のソウル(インチョン国際空港)へ到着。滑走路の路面温度は、マイナス10℃とのアナウンス。
空港ロビーで我々と同じインド行きの、搭乗ゲート前には、髪の毛と髭を伸ばし、頭はターバン姿のご老人が多い。
男女とも大きな体格には、驚かされる。
時差わずか3.5時間(マイナス)だが、向い風の為、デリー空港(正式名:インディラ・ガンディー国際空港)まで、ナ・ナント9時間10分もかかる。
帳が降りたデリー空港の観光バス駐車場付近は、霞(か)すんで見える。
現地ガイドは “濃霧” と言うが、匂いもあるし、私には、ばい煙としか思えない。
そばには、オート・リクシャーと呼ばれる3輪タクシーで客待ち(カモ待ち)している光景が、あちこちで見受けられる。
空港外の道路は未舗装箇所も多く、その暗い夜道を多くの人が歩いている。
夕食は、レストランでのインド料理(ナンが主体で、口に合わないスープカレーが数種類、他) 肉は苦手な鳥肉。
正直なところ、“大変な国に来てしまった”
今日は24時間 + 時差3.5時間で27.5時間。
就寝時間:23時10分(日本時間、2時40分)
デリー泊(ラマダプラザ)
1月13日(2日目)
起床時間:5時30分(モーニングコールは、6時30分)
デリーでもトップクラスのホテルなのに、入浴習慣のないこの地方は、バスルーム?に、ガラス張りシャワーのみ(バスタブ無し)。
水洗便器の横にはホースが一本、インド人が使用するらしい。
観光(世界遺産巡り)は実質今日から。
デリー市内観光
①2007年に世界遺産登録されたばかりの≪レッドフォート≫
②ムガール王朝第2代皇帝フマユーンの霊廟で世界遺産の≪フマユーン廟≫
デリーからアグラヘバスで200キロの移動
これが高速道路、とあきれるガタガタ道を走る。
途中のバザールには多くの人・牛・車が群がっている。
インドには自動車学校はない。路上で練習し免許証を取得するらしい。
車検制度は無く、壊れたら修理する。
アグラ泊(ハワードパークプラザ)
1月14日(3日目)
今日も起床時間は5時30分。
ホテル出発は8時。
アグラ市内観光
①世界一美しいと言われる白亜の墓標≪タージ・マハル≫(世界遺産)
②アクバル帝により1565年に築かれた赤砂岩城≪アグラ城≫(世界遺産)
③アクバル帝の城跡≪ファティーブル・シクリ≫
町中には、とにかく人が多い。
三輪タクシーには、脱北の難民船の如く10人位乗る。
バイクには、3~4人位の1家族が乗っている。
定員無し、積載量制限無し、速度制限はあるが賄賂(わいろ)が横行する土地柄、捕まれば袖の下・・・
アグラからジャイプールへバスで270キロ移動する。
牛フンを家屋の屋根・空き地に干している。
これは貴重品であり、燃料として煮炊きにも用いる。
高速道路は無料
しかし、バイク・自転車・トラクター運搬車や牛車は勿論の事、ラクダの荷車も走行している。
路肩を逆走するバイクもある。
とにかく “何でもあり” のインド
ジャイプール泊(ジャープールパレス)
1月15日(4日目)
いつも通りの5時30分起床。
清々しい早春らしい朝を迎える。
少し肌寒いが霧も無く、空はすっきりと晴れ渡っている。
ホテルの朝食バイキングでは、スクランブルエッグが白い。
また、ゆで卵の黄身も白い(薄い黄色)。
現地ガイドに聞いてみたが、餌(トウモロコシ)の関係と無精卵である事らしい。
確かに日本人は濃い黄色を好むためパプリカやマリーゴールドを餌に混入しているようだ。
ジャイプール市内観光
①≪アンベール城≫
②ピンクシティの中心≪シティ・パレス≫
③巨大な天文台の≪ジャンタルマンタル天文台≫
④ジャイプールのシンボル≪風の宮殿≫
夕食はレストランで、インディアンダンスショーを観賞しながらインド料理。
一人で夜の散策に出かけたが、大きな交差点に、横断歩道は有るが、歩行者用の信号機が無い事や、物乞いする子供がいる。
また あちこちから舐め回されるような視線を感じる。
早々にホテルに引き揚げた。
ジャイプール泊(ジャイプールパレスに2連泊)
1月16日(5日目)
今日は、ホテル移動で荷物の整理もあるし、4時45分起床。
ホテル出発は8時。
ジャイプールからデリーへの大移動(250キロ)である。
都市間を結ぶ高速道路には駐車中の車両・中央分離帯の整備のため中央車線側に駐車し作業中の車両・砂利積載オーバーで転倒したトラック等で危険がいっぱい。
我々が乗るボルボの観光バスは、二車線の走行車線と追い越し車線の区別がないハイウェイを縫うようにして走る。
今回の専用観光バスには、ドライバー(親方)と、ドライバーを目指す若い弟子が乗務している。
接客方法や運転技術を盗み・見習う。
有給か無給かは定かでないが、親方と24時間寝起きを共にしているとの事。
我々がホテルにチェックイン後、バスの清掃は勿論であるが、親方と共にバスの中で食事をし、寝泊まりしているらしい。
(インドではバスの乗務員が、ホテルに泊まる習慣は、ない)
デリー到着後の観光
①インドで一番高い石塔≪クトゥブ・ミナール≫観光(世界遺産)
夜(19時50分)デリー空港より出国し、ソウル(仁川国際空港)へ向かう
1月17日(6日目)
インド ⇒ 韓国 間は追い風の為に6時間40分で、仁川国際空港へ到着。
朝 6時(現地時間)に韓国・仁川空港に到着後、入国。
今朝の仁川・ソウル共に良く冷えている。最近の最低気温はマイナス10℃位になるとか。
仁川からソウルまでは、約1時間。
高速道路は、インドに比べ大変奇麗に感じる。
ソウル市内到着後は、レストランで朝食の “お粥” を食する。
(久しぶりにインド料理以外のものを口にして美味しかった)
ソウルでの観光は
①世界遺産≪宋廟(チョンミョ)≫
②南山韓屋村(ナムサンハノクマウル)
③清渓川(チョンゲチョン)散策
昼食は、韓国料理レストランで、本場の “石焼ビビンバ” 。
観光を終え空港に向かう途中にブランド物の免税店に立ち寄るが、韓国富裕層の運転手つき大型乗用車が次々と乗りつけるし、日本からのお買い物ツアー客でごった返している。
仁川空港を、定刻の18時40発に離陸し、広島空港へは20時に到着。
無事に旅行終了。
旅を終えて
インド・デリー空港到着後は、驚きの連続であった。
インド入国から出国までの毎日毎食のカレー料理には参った。
日本のカレー料理は好むが、インド各地の料理を出されても同じスープカレーとしか思えない。
主食の “ナン” や “バスマティ米” と呼ばれる長粒米の飯もどうも ・ ・ ・
そして観光地の駐車場には、必ず現れる物売りや、物乞いをする子供たち。
交差点で車が止まれば、汚れたタオルで窓ガラスを拭きチップを要求する子供。
義務教育制度がなく、一部の富裕層の子供たちが学校で学ぶ。
目鼻立ちの整った若い母親、しかし髪はボサボサ、片手に乳飲み子・片手は空の哺乳瓶を持ち、この子も私もお腹ペコペコとゼスチャーしながら寄ってくる。
貧富の差が激しくそれを目の当たりにして心が痛む。
しかし、インド人は生きていくためのすさましいパワーをもっている。
貧困家庭に生まれた事を決して不幸とは思っていない(現地ガイド談)。
日本人は自殺者が多いが、インド人は物乞いしてでも生きている。
アジアの大国 “インド” を訪れ、予想だにしない発見が多く、今後の生活に生かすことが出来れば良いなと思う。
もう一度インドへ ・ ・ ・? と聞かれれば NOである。
IT大国インドの光と影をまざまざと見せつけられた6日間の旅であった。
今回利用の航空会社は全て、「エアライン・オブ・ザ・イヤー2009」受賞の“アシアナ航空”(韓国)である。
客室乗務員も丁寧であり、韓国のもう一つの航空会社とは大違い。
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