スポーツジムは、月末のため定期休館日。
朝から予定していた世羅ラジコン飛行場へ向かう。
沿道の稲田の穂は大きく膨らんでいる。 しかし稲刈りの姿は、あまりない。
ウィークデーの飛行場は、“サンデーまいにち” 組が多い。
世羅高原は、すっかり秋の気配で吹く風も心地よい。
朝の10時半から夕方4時過ぎまでの6時間をラジコイン飛行場で過ごした。
また、今日は我が家のある記念日。
昭和55年(1980年)8月31日に、今の我が家へ入居した。
あの日から31年が経ち、明日から32年目に突入する。
中国地方一の規模といわれる高陽ニュータウンは、高齢化の大波が押し寄せている。
当時の我が家族は、長女9歳(正確には8歳10ヵ月)、次女が6歳で4人家族だった。
あれから31年、子供たちは巣立ち ・ ・ 長女には母親思いの高校3年の息子、そして次女には小4の娘がいる。
永住するであろうこの地の、「歴史と歩み」を図書館・内科医の待合室にある書籍などを利用し少し学習してみた。
【旧 高陽町地域の災害と近代化の歩み】
太田川(支流を含め)沿いの町村は、災害に見舞われる事が多かったようだ。
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