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素浪人の日記 「気まぐれ」 2011年 8月

 
 
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世羅ラジコン飛行場
2011年8月31日(水)
今日も暑い一日


スポーツジムは、月末のため定期休館日。

朝から予定していた世羅ラジコン飛行場へ向かう。

沿道の稲田の穂は大きく膨らんでいる。 しかし稲刈りの姿は、あまりない。

ウィークデーの飛行場は、“サンデーまいにち” 組が多い。
世羅高原は、すっかり秋の気配で吹く風も心地よい。
朝の10時半から夕方4時過ぎまでの6時間をラジコイン飛行場で過ごした。


また、今日は我が家のある記念日。

昭和55年(1980年)8月31日に、今の我が家へ入居した。
あの日から31年が経ち、明日から32年目に突入する。

中国地方一の規模といわれる高陽ニュータウンは、高齢化の大波が押し寄せている。

当時の我が家族は、長女9歳(正確には8歳10ヵ月)、次女が6歳で4人家族だった。
あれから31年、子供たちは巣立ち ・ ・  長女には母親思いの高校3年の息子、そして次女には小4の娘がいる。

永住するであろうこの地の、「歴史と歩み」を図書館・内科医の待合室にある書籍などを利用し少し学習してみた。
   
【旧 高陽町地域の災害と近代化の歩み】

太田川(支流を含め)沿いの町村は、災害に見舞われる事が多かったようだ。
 


点検・整備を終え 充電中の「スカディ」
2011年8月27日(土)
公開講座に臨む

 
今日は真夏の天候が戻ってきた。

朝から、比治山大学で開催された「Webコミュニケーション」に関する公開講座(情報)を受講した。

先ず、会場の情報処理室に、64台のデスクトップパソコンと周辺機器が鎮座しており、その設備品の種類と台数に圧倒された。

パソコンは、世界シェアートップのHP(ヒューレットパッカード)製品、OSはWindowsVistaを搭載。

現役時代の会社が、日本HP社とコンピュータにおける合弁会社を持っており、業務用パソコンはHPのパソコンを使用していた。

法人ユーザーが多いHP社のパソコン、久し振りに触れるHPのキーボードの感触に懐かしさを覚えた。

講義内容は、インターネットを使ったコミュニケーションのとり方、入門者向け的な内容。 後半は情報セキュリティーとコンピュータウィルスについての講義。

2回シリーズの1回目。

夜は、雷雨となる。

 


“一茎多花” のヒマワリ & 頭を垂れた “一茎一花” の巨大輪
2011年8月25日(木)
夏もそろそろ ・ ・ ・

 
盆明け以降、梅雨明け前の様な激変する天候が続いていたが今朝は強い日差しがそそぐ、しかし午後は曇天となり、小雨もぱらついた。

朝は、クラブ(パソコン)の学習で公民館へ。

関心事は、IME(Input Method Editor)の進化である。

約20年前のMS-DOS時代に、かな漢字変換などが行える日本語入力システムをFEP(Front End Processor)と呼んでいた。

当時、国内無敵のシェア-を誇っていたジャストシステムのワープロソフト「一太郎」にはFEP(日本語入力システム)として「ATOK」がバインドされていた。

「ATOK」は日本で開発されたソフトで、大変使いやすいFEPだった。

一方 WindowsパソコンのOS(Operating System)は進化しても、日本語入力システムがぜい弱で、“おバカなIME” とさえ言われてきた。

しかしユーザーの声等も反映された“IME”へと変貌しつつある。

最新の、Windows “7” に搭載されている“IME2010”は大変使いやすく好評であり、XP以降のMicrosoft 正規ユーザーには無償提供されている。

ADD-IN SOFT (ADDの語源は、Additional = 付加・追加・上乗せ)と組み合わせれば活用方法も拡がる。
 

2011年8月16日(火)
月遅れの盆


盆を故郷の久留米(福岡)で過ごし、3日振りに帰宅した。

13日(土曜日)は、予定通り2時半起床・3時自宅出発、山陽道下りの車両は多いが特に大きな渋滞も無く、320キロの道程をを5時間かけ、休憩を取りながら平均速度80~90キロという安全運転で走行した。
従って燃費も、そこそこの21キロ/リットル。

故郷に帰れば、博多名物の“おきゅうと”を、姉が食卓に用意してくれる。

特産の“おきゅうと草”等の海藻加工食品である。
華やかさはなく地味な食べ物であるが、大好物。

食べ方も“ところてん”に似ており、鰹節の上に薬味として、きざみねぎ・おろし胡麻・生姜等好みの物をのせ生醤油で食べる。

子供のころから食べなれた“おきゅうと”は、久し振りで美味しい。

15日夕方は、強雨の中、お盆の行事送り火の一種である灯篭流しを行い、初盆を終えることが出来た。

翌朝(16日)広島への帰途は、九州道・山陽道での渋滞を予想していたが、8時半頃と少し早目の時間という事もあり、通常の休日程度の車の数。
追い越し車線を、全速力ですっ飛ばしていく車は、軽自動車が目立つ。

また、明日から新しい一日が始まる。


安芸門徒の墓地
2011年8月12日(金)
安芸門徒の盆

 
故郷での初盆もあり、盆にはちょっと早いが、我が家の近くに建立している妻方の墓掃除とお参りを終えた。

涼しいうちにと、早めに墓地に着いた。

既に、安芸門徒独特の風習である、お盆の際の盆灯篭を見かける。

竹を六角形のアサガオ型に組んだ物に、赤・青・黄などの色紙を貼って作られている。

明日・明後日と灯篭の数が増え、墓地全体が灯篭に埋まる。
 

2011年8月9日(火)
菜園クラブ


今日はクラブの活動日だったが暑かった。

今年の活動日で最も暑かったように思う。
サウナ風呂状態で、汗がボタボタと、したたり落ちる。

暑すぎて、“蚊”は少なかったように感じた。

作業終了後には、熱中症予防の為?、昼食時に缶ビール3~4缶(定かでない) 飲み、水分補給したが、大汗をかいた後のビールは格別。

また、いつもの収穫物の他に、畑で大きく実った“すいか” がある。
井戸水であら熱をとり、その後に氷水の入った大きなボールに入れられ冷やされた “すいか”。

ちょうど食べごろで美味しかった。
 

2011年8月6日(土)
暑気払い


熱帯夜で寝苦しい夜が明けた。

早朝から広島平和公園で開催の原爆記念式典の模様をテレビで視聴し、8時15分から1分間の黙とうをささげた。
戦後66年、原爆投下40日前に生誕した私も66歳。

そして今日はクラブ(パソコン)の暑気払い。 これは夏場の恒例行事。

送迎バスに乗り込み“グリーンピアせとうち”へ向かう。
わいわい・がやがやと2時間弱の行程で、缶ビール2缶プラスアルファを飲み干した頃、呉市郊外の安浦に到着。

“ シーサイド ” のこの施設もバスから降りると蒸し暑さを感じる。

食事前に温泉(トゴール湯)に入浴。
露天風呂からは瀬戸内海に浮かぶ小島の眺望が素晴らしい。

食事時には、勧められるがままにビール・酒を飲んだような気がする。
そして余興は、カラオケ ~ 参加者17名でのゲーム ・ ・ ・ とすすむ。

幹事・アドバイザーさんにより順調に進み、3時間もあっという間に過ぎゆく。

事故・トラブルもなく、皆さん良い笑顔で無事帰宅。
幹事さんお世話になりました。

夜は、自治連合会主催の “ ふれあい夏まつりが ” 小学校のグランドで開催された。 高齢化が進み、30年前に高陽ニュータウン入居時の賑わいはない。
 


百日紅(サルスベリ)
2011年8月1日(月)
百日紅(さるすべり) と 向日葵(ひまわり)


天候不順な日が続いているが今日から8月、暦ではそろそろ秋が始まる。

我が家も百日紅と向日葵が開花した。

向日葵は、毎年 “広島フラワーフェスティバル”の会場で配布されている種を蒔くが、今年も背丈より、はるかに高く成長し、私を見下ろしている。

また、家の裏には、成長過程の百日紅が昨年より元気よく咲いている。

“紫色”の百日紅は珍しい。
九州旅行時に、ある記念樹として手に入れたもの。

名前の由来通り秋まで約100日間咲き続ける。

百日草と向日葵。
ともに、日本の夏を代表する花。
 

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